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大阪地方裁判所 昭和32年(ヨ)3832号 判決 1960年10月24日

申請人 中川二郎

被申請人 社団法人 関西交響楽協会

主文

被申請人は、申請人を被申請人の従業員として取り扱い、かつ申請人に対し、昭和三二年六月一日以降一ケ月金二八、〇五七円の割合による金員を毎月末日限り支払わなければならない。

訴訟費用は、被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請人の主張

申請人訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

一、被申請人協会(以下単に協会という)は、従業員約一六〇名(内楽団員九〇名、事務局員約二〇名、歌劇団員五〇名)をようして「関西交響楽団」及び「関西歌劇団」を設けて音楽演奏業務を営むものであり、申請人は、昭和二五年楽団員として入団し、打楽器部門(チンパニー)の演奏に従事し、一ケ月二八、〇五七円(内固定給一九、〇〇〇円、歩合給九、〇五七円最近――三ケ月平均)の賃金を毎月末日に支給されていたものであり、かつ楽団員で組織されている労働組合である関西交響楽団団員組合(以下単に組合という)の組合員であつた。

ところが協会は、昭和三二年五月三一日申請人に対し書面で業務上の都合により同日限り申請人を解雇する旨の意思表示をし、右書面は同日申請人に到達した。

二、しかしながら、右解雇は、次に述べるような理由で無効である。

(一)  本件解雇は、申請人の正当な組合活動に基因するものであるから、不当労働行為として無効である。

(1) 昭和三一年当時関西交響楽団員の労働条件は劣悪で、優秀な楽団員は他に職を求めて去る傾向があり、ために楽団全体として技術水準の低下を来す恐れがあつたのと、協会には経理上多額の使途不明の支出があつた。そこで、楽団員間において労働条件の向上と演奏技術の向上のため労働組合を結成しようとの機運がたかまり、同年七月二八日楽団員全員(ただし楽団練習所長吉田民雄、総務部長浅井安雄を除く)を以て組合が結成されると同時に、同日開かれた結成大会において一万円のベースアツプ、公演手当の支給及び指揮者、曲目の選定には組合の許諾を要することなど楽団員の労働条件の向上と、楽団運営の民主化に関する要求事項を決議し、直ちに協会に団体交渉を申し入れた。組合の結成を恐れた協会は、協会側、事務局側、楽団員側(組合代表としてではない)の三者構成による運営協議会による協議にのみ応ずるとして右団体交渉の申入を拒否し、右協議会においても組合の要求事項につき誠意のある回答をしないのみか、その後ますます組合活動を嫌悪し、組合を団員の自治会に改組せよと宣伝したり、昭和三二年三月専務理事の権限を強化して楽団員の人事給与につきその一方的認定で差別待遇をなしうるようにし、これに組合が反対決議をするや、前記吉田、浅井を通じて組合の内部分裂を働きかけ、遂に同年同月二五日管楽器、打楽器部門の団員全員三五名を組合より脱退せしめるにいたらせるなど組合活動にいろいろの妨害を加えた。

(二)  (1) 申請人はつとに楽団における低給与と非民主的な楽団の運営方針に関心をもつていたので、昭和三一年七月組合結成の準備委員となり、規約起草委員の一人に選出され、組合結成に積極的に尽力し、組合の結成大会では執行委員に選出され、じらい解雇に至るまでその任にあつた。

(2) その間申請人は、執行委員として、次のように協会との交渉や組合の団結強化のため積極的活動を続けたため協会から敵視されるに至つた。

(イ) 昭和三一年八月二四日運営協議会の席上申請人は協会の経理につき詳細な説明を求め、帳簿類の公開を要求したところ、専務理事水川清一は席を立つて激怒し、申請人に罵言を浴せた。

(ロ) 同年末の年末手当の要求についても、申請人は作間副組合長とともに中心になつて活動した。

(ハ) 昭和三二年二月協会が組合の要求を無視して一方的に六月までの定期演奏曲目を発表したことにつき、申請人は運営協議会の席上強くこれに抗議した。

(ニ) 同年三月の専務理事の権限強化についても、申請人は強固な反対をし、組合としてこれを拒否するよう働きかけ、団体交渉の必要や地方労働委員会への救済申立をも組合に提案した。

(ホ) 同年四月前示組合員の脱退により活動力が減退した組合にあつて、申請人は作間副組合長とともに組合の組織強化と団員の演奏、生活条件の向上のため努力を続けてきたが、四月上旬協会は作間に対し進退伺の提出方を求めてきたので、申請人は、組合にこれを打明け、組合として作間を守るよう努力した。

(3) ところで、組合の力が弱くなるや、協会は申請人及び作間を解雇することによつて組合に決定的打撃を与えこれを壊滅させようと決意し、昭和三二年五月一日申請人及び作間に対し同月末日を以て解雇する旨通告し、同月末日に至るまで執拗に辞職願の提出方を強要したので、作間は五月二〇日辞職願を提出したが、申請人は右要求に応じなかつたため同月三一日協会から業務上の都合を理由に解雇された。ところが、申請人の解雇後も、協会は、作間を解雇することなく依然雇傭していたが、同人が申請人の申し立てた地方労働委員会における救済申立事件につき、同年六月一八日申請人側の証人として、同月二八日申請人の補佐人として各出頭するに及び翌二九日同人をも遂に解雇するに至つた。なお、組合は申請人が解雇された後更に弱体化し遂に同年一〇月下旬頃解散した。

(三)  しかしながら、(1)ないし(3)の事実に徴するときは、被申請人に対する申請人の解雇は、組合を嫌悪する協会が、申請人において活溌な組合活動を行つたことを理由とするものであり、申請人があげた業務上の都合によるとの解雇理由は、単に右解雇の真の理由を隠蔽せんとの手段にすぎないものであることが明白であつて、不当労働行為として無効である。

三、また本件解雇は、以上に述べたところからすると、全く理由なしに行われたものであるから、解雇権の乱用として無効である。

四、果してそうだとすると、申請人は、依然協会の従業員たる地位を有し、申請の趣旨記載の賃金債権を有するものであるが、申請人は楽団における演奏による賃金収入を唯一の生活の資とするものであり、本案判決による救済を受けるまでの間生活上の危機を忍受できない実情にあるのが、緊急の救済を求めるため本件申請に及んだ次第である。

五、被申請人の答弁に対し、次のとおり述べた。

(一)  被申請人主張の協会設立の経過は多分に事実に反する。すなわち昭和二一年初頃には関西に交響楽団がなかつたので、既存の放送管弦楽団を充実強化して交響楽団をつくることになり、大阪放送局所属の大阪放送管弦楽団(以下、B、Kという)を中心に関西在住の音楽家が集まり関西交響楽団が組織された。この当時の右楽団は音楽愛好者の集合といつた状態であつたが、昭和二五年放送局の楽団に対する支配を不満とした指揮者朝比奈隆が中心となり、B、Kより独立した被申請人協会を設立し、その経営により関西交響楽団を維持することになつた。右協会の設立により楽団員と協会との間に専属的雇傭関係ができたのである。したがつて名称は同一であるが、昭和二五年を境として関西交響楽団はその本質を異にするのである。右協会設立の事情から、その後協会による楽団の運営につき朝比奈隆の独断的傾向が強いので組合においてその傾向の排除を主張したのである。

(二)  被申請人は運営協議会を以て終始熱心に団体交渉に応じたと主張するが、協議会の構成は前述したとおりであり、しかも議事の進行議決には専務理事の主宰権限が強いもので、いわゆる経営協議会ないし諮問機関であつて、団体交渉の場ではない。

(三)  被申請人主張の解雇事由はすべて否認する。

(四)  申請人が昭和三二年六月一五日退職金一七万円を受領したことは認めるが、受領に当り生活補護金として受領するもので、解雇を承認するものでないことを明言している。

第二、被申請人の主張

被申請人訴訟代理人は、「申請人の申請を却下する。訴訟費用は申請人の負担とする。」との判決を求め、答弁として、次のとおり述べた。

一、申請人主張の事実のうち、申請理由一記載の事実、同二記載の事実中申請人主張の日に組合が結成されたこと、申請人が組合執行委員に、作間が副組合長にそれぞれ選出されたこと、運営協議会で組合代表と協会代表とが話合をしたことはいずれも認めるが、その余の事実及び三、四記載の各事実は総て争う。

二、本件解雇は次に述べるような理由に基くものであつて、何らのかしもない。

(1)  そもそも関西交響楽団は大阪を中心とする関西の真に純音楽を愛好する同好の士が集まつて結成されたものである。それ故に音楽愛好家の強力な経済的支援がなければ、演奏技術の向上発展を期し得ないのは勿論その存続さえ不可能であつた。そこで発足後間もなく鈴木剛を中心とする関西経済界の音楽を愛好する有力者らによつて後援会が結成され、その拠出金によつて楽団の維持運営がなされてきたものであるが、その後更に楽団の恒久的な維持運営と楽士が後顧の憂なく技術の研修に没頭しうるよう生活保障を強化することを企図し、大阪府教育委員会の認許を得て社団法人である被申請人協会が設立されたものである。以上の楽団結成ならびに協会設立の経緯に徴して明らかなように、楽団自体はあくまで芸術の探求に努力して社会文化の向上に寄与せんとするものであり、楽士個人もまた芸術家と目される人達の集りである。したがつて協会の使命も右楽団の目的達成を支援しかつ楽団を発展させることに尽きるもので営利を目的とする興業会社とは本質を異にするものである。したがつて協会は申請人らの社会的経済的活動を援助こそすれ、これと対立するものではない。

(2)  ところが昭和三一年初頃以来各種外国の優秀楽団の演奏、在京楽団の技術の向上などと対比して、関西交響楽団の演奏成果は芳しくないとの悪評が、音楽批評家はもとより一般聴取者らより続出してきたので、速かに演奏技術の改善向上を計ることが関西交響楽団ひいては協会の不可避の急務となり、この事は組合結成後においても組合と協会との討議の席上しばしば議論されたところである。これが対策の一つとして、楽団員の質的向上をはかるため人員整理は是非とも実行しなければならないとの意見が組合内部から起り(九月頃には組合は退職さすべきものの人名を具体的に挙げていた程である。)、協会においても楽団の将来性にかんがみ、何時かはこれを実施しなければならないものであつたので、その時期、方法について公正を期するため慎重に考慮した結果、昭和三二年三月一〇日協会側と組合側との各代表を以て構成する運営協議会において、楽団員の採用、昇給、休退職などについては、指揮者、コンサートマスター、インスペクター、技術委員らの意見を聞いて専務理事が行い、技術委員は楽団の各楽器部門のトツプ中より任命されるとの事項を協定した。そこで協会としては、人員整理はあくまで科学的評価に基くことを期した結果、整理基準として、まず第一に人物(交響楽はその性質上楽士間にそれぞれ高度の協和性を必要とするとの観点からの適否と従来の勤務状況)、第二に技術(欠陥の有無、現在の俸給に対応する技術の巧拙)第三に技術の将来性(技術向上の将来性の有無)の三項目に分け、これを更にA、B、C、Dの四階級に分類し、右三者ともCと評定されたもの及び何れか一つDと評定されたものを整理の対象として、楽士全員につき、それぞれ指揮者、コンサートマスター、インスペクター、技術委員の各意見を総合評価したところ、申請人を含む四名が整理対象となつた(その中二名は当時既に組合を脱退していた)。

(3)  申請人は前記三項目につき何れも次の点からCに該当するものと評定されたものである。

先づ人物については、申請人はかつて出勤の途次泥酔して暴行をし、曽根崎警察署に留置されたが、その際協会に始末書を提出し、謹慎を条件に就業を許されていたのにかかわらず更に昭和三一年一月にも宴会の帰途協会と関係の深い日本楽器株式会社に立寄り酒食を強要し、これを拒絶した同社社員に傷害を与えた。このように申請人はもともと酒癖極度に悪く、謹慎反省の態度が見受けられず、他の楽士のひんしゆくを買つていた。またその勤務振りも、しばしば宿酔で欠勤したり、練習には他の楽士と比較してもつとも集合が遅れ、映画録音に当つての申請人の演奏及び勤務態度は、常に映画関係者の苦情の対象となり、果ては出演を拒否されることもあつた程である。そして、これらの申請人の性行のため、他の楽士との交友も円滑を欠き楽団全体の親和力に及ぼす悪影響は無視できないものがあつた。

第二の技術については、申請人は打楽器部門特にチンパニーに従事し、各種の打法の技術を一通り身につけていたが、オーケストラの構成員としては、最も肝心のリズム感及び音程が特に悪く、殊にチンパニーはオーケストラにおける第二の指揮者といわれる重要な地位を占めるものであるのに、申請人は俗に「遅れの大鼓」と称される程リズム感、音程に致命的欠陥を有していたものである。

第三の技術的向上の将来性については、申請人の右リズム感及び音程の欠陥は、その先天的素質と年令に胚胎するもので、その向上を求めることは不可能に近いと認められるものであつた。

前記評価結果は昭和三二年三月末決定されたが、たまたま組合解散の時期にあつたので、協会は不要の誤解を招くことを恐れて同年五月一日になつて前記四名に解雇予告をし、予告後においても水川専務理事は各技術員に対し無記名投票により前記評価結果の当否を確かめ(全員これを是認した)る一方解雇後における申請人らの生活の不安を除去するため転職の斡旋をし、極力転職を勧めたりしたが、申請人は右斡旋を拒否したものである。

三、本件解雇は申請人主張のように不当労働行為ではない。

(一)  協会は組合の結成や組合活動を嫌悪したことなく、始終熱心に組合との団体交渉に臨んでいたものである。すなわち、協会が組合の結成通知を受けた日の翌日である昭和三一年八月一一日早速水川専務理事と組合代表との間に交渉が開かれ、数回の交渉を経て同月一八日両者間に団体交渉を実施するについての基準事項である「話合について双方が確認すべき原則」を協定し、その後の交渉は右基本原則に則り実施されることになつた。右原則中「協議会について」の協定は関西交響楽団の純音楽的演奏団体としての特殊性に基き団体交渉という語の外部に与える硬直な感じを避けるため、これを運営協議会及び業務協議会と呼称することとし、運営協議会は前述のとおり協会代表と組合代表を以て構成し、組合の要求事項を討議することとし、業務協議会は運営協議会の審議の結果その事務担当者を特に加えることが適当な事項及びその他演奏事務に関し討議することとし、その構成は前二者の外協議事項の担当者を加えて三者とした。したがつて、右各協議会はいずれも組合との交渉の場に外ならない。ところで、右協定後直ちに運営協議会は数回連続して開かれ、その結果同月三一日改革案を協定し、従来の楽団自体の組織運営を根本的に改革するに至つた。その間協会は組合との交渉を回避ないし拒絶したことなく、むしろ積極的に交渉の機会を作るように促し、楽団の改善、向上には終始変らず組合の意見を求め、聞くべきは聞き、容れるべきは容れて、熱心な努力を続けてきたものである。

(二)  申請人は協会が一方的に楽団の人事給与について専務理事の権限を強化したというが、事実を甚しく歪曲するものである。楽団は当初楽団長朝比奈隆がその運営はもとより、経理をも掌握し、後援団体の開拓、その他一切の業務を専行し、理事長、専務理事は単に経済面における後援的事務を掌理するに過ぎなかつた。組合はまさにかかる楽団長の専権(楽団長制)の撤廃を企図して結成されたものであるから、前記の改革案においては、組合の強い要望の下に楽団長制を廃止し人事その他楽団の運営については、協会の理事長、ひいては専務理事の権限を強化せんとしたのが真相である。

(三)  次に申請人は、組合解散の原因についても協会がこれを画策したかのような主張をするが、組合はその結成以来幹部役員の間においても、総評に加入せしめんとするものや、関西交響楽団の特殊性からこれに反対するものら、意見が分れ、足並に統一を欠いていたが、たまたま楽団の質的向上を企図して楽器の各部門にそれぞれ技術委員を設けることに端を発し、組合員の組合幹部に対する不信が高じて遂に分裂状態を呈し、脱退者を多数出すに及んで解散するに至つたもので、協会がこれを煽動したり、画策した事実はない。

(四)  申請人は組合活動についても、あたかも闘士のような活躍をし、団体交渉においても、その主役を演じたように主張するが、これは事実を誇大に主張するものである。すなわち

(1) 申請人は昭和三一年八月二四日の運営協議会で協会の経理につき帳簿類の公開を要求したと主張するが、右協議会で経理に関し発言したものは執行委員清水久司であり、申請人は右の事項について発言した事実はない。演奏曲目についても、申請人は協会の印象に残るような活発な発言を全くしなかつた。

(2) 仮に申請人の活発な組合活動があつたとしても、前述のとおり協会の成立経過その性格からして、組合と対立関係になかつたから、申請人が組合活動をしたことを嫌悪して解雇する理由は全くない。

四、仮に以上の主張が容れられず本件解雇が不当であるとしても、申請人は自ら早急に退職金を支払うよう要求したので、協会は昭和三二年六月一五日退職金として金一七万円を申請人に支払つた。したがつて、申請人は右退職金の受領により無条件に解雇を承認したものであるから、この点からしても、本件申請は理由がないものである。

第三、疎明関係<省略>

理由

一、当事者間に争のない事実

協会は従業員約一六〇名(内楽団員九〇名、事務局員約二〇名、歌劇団員五〇名)をようして「関西交響楽団及び関西歌劇団」を設けて音楽演奏業務を営むものであり、申請人は昭和二五年楽団員として入団し、打楽器部門(チンパニー)の演奏に従事し、楽団員で組織されている労働組合である前記「組合」の組合員であり、かつ執行委員であつたこと、ところが協会は昭和三二年五月三一日申請人に対し書面で業務上の都合により同日限り申請人を解雇する旨の意思表示をし、右書面は同日申請人に到達したことは、いずれも当事者間に争がない。

二、そこで右解雇が申請人主張のように不当労働行為に当るかどうかについて考察する。

(一)  解雇に至るまでの経過

成立に争のない甲第四号証の一、乙第二号証の一、二、四、証人水川清一の証言により成立を認めうる乙第四号証の一ないし四、証人作間清、沼光蔵、水川清一の各証言、申請人本人尋問の結果を総合すると次の事実が疎明せられる。

(1)  昭和三一年始頃より楽団員間に演奏技術の向上のために楽団運営の民主化と賃金など労働条件の改善をはかろうとの機運が高まり、同年七月中頃コンサートマスター小杉博英を始め作間清、清水久司、沼光蔵及び申請人らが中心となつて労働組合を結成しようとの動が起つたが、その際申請人と作間は組合の結成準備に当り、申請人は労働基準局を訪ねるなどして労働組合の規約の起草をした。

(2)  そして、同年七月二八日楽団員全員によつて労働組合である関西交響楽団員組合が結成されたが、(この点は争がない)同日の結成大会において、組合長に小杉、副組合長に作間、書記長に沼、執行委員に清水、申請人外数名が選出され、(執行委員に申請人が選出されたことは争がない)同月六日の大会において、組合は楽団員の給与につき一万円のベースアツプ、公演手当の支給、事務局長の退陣、指揮者、曲目の選定に組合の許諾を要することなど楽団員の労働条件の向上と楽団運営の民主化に関する要求事項を決議し、同日小杉組合長ら組合三役が理事長鈴木剛に組合結成の通知(乙第二号証の一の通告書は後に出された)をするとともに右要求事項につき団体交渉を申し入れた。そこで同月一一日鈴木理事長から折衝を委された専務理事水川清一と組合の代表との間において交渉が行われた結果、同月一八日「話合について双方が確認すべき原則」が協定され、右原則に基き設けられた協会側と組合側の二者を以て構成される運営協議会及び右二者に事務局側を加えた三者を以て構成される業務協議会を以て団体交渉に代る組合と協会との話合の場とすることになつた。

(3)  かくして同月二四日運営協議会が開催されたが、水川専務の乗用車の購入資金に関する清水執行委員の発言に端を発し、申請人が協会の帳簿の公開を要求したところ、水川専務は激怒し、「帳簿を見せてやるが、そこまで信用しないなら理事をやめる」旨述べ、御用的な小杉組合長は「理事がやめたら協会は楽団の経営から手を引く、その場合組合が楽団員の面倒を見て行く自信があるか」という趣旨の発言をし、申請人らと小杉組合長の間で意見が対立した。

(4)  当時組合の執行委員会などにおいて、申請人は、労働協約の締結、ユニオンシヨツプ制の確立、就業規則の制定を協会に要求しなければならないことをしばしば強調し、組合活動の急先峰をなしていた。

(5)  同年八月二四日の運営協議会において、楽団長制の廃止つまり協会の業務の運営は従来楽団長の専権に委ねられていた(この点当事者間に争がない。)のを改め、協会の運営は運営協議会又は業務協議会にはかつて専務理事が責任を以て管掌することを主眼とした改革案が協定され、同年九月一日から実施に移されていたところ、右改革案の趣旨に反し昭和三二年一月頃楽団長朝比奈隆がホルンの奏者一名を入団させたり、組合の知らない間に一方的に同年二月から六月までの定期演奏曲目を発表したりしたことにつき、申請人は同年一月頃の協議会の席上水川専務理事に対し、責任者が始末書を提出させることを要求して、これに強く抗議した。

(6)  昭和三二年三月一〇日の運営協議会において、水川専務理事は楽団員の採用、給与、休退職などにつき意見をきくため諮問機関として専務理事が委嘱する技術委員の制度を設けたいとの提案したのに対し、小杉組合長を除いた出席執行委員(申請人は当日通知に接しなかつたので出席していなかつた)は選挙による技術委員制度を主張して物分れになつたのに、協会は右意見を無視し、翌日協議会の決定事項として楽団員の採用、給与、休退職などについては常任指揮者、コンサートマスター、インスペクターならびに技術委員の意見を聞いて専務理事が発令する。技術委員は専務理事が委嘱する旨を協会内に掲示した。そこでその直後頃対策を講ずるため開かれた組合の大会において、申請人は協会に対し技術委員制度の撤回を要求し、かつ協会の不当な処置につき地方労働委員会に救済申立をすること、この際組合は総評に加盟することなどを提案した。組合の決議によりその取扱を一任された執行委員会では申請人の提案が多数により可決されたのに、協会と協調的で、右提案に反対した小杉組合長は、理事長の裁決を得ると称して理事長を訪問して後突然組合長を辞任した。数日後組合長の辞任後の組合活動を協議するため開かれた組合大会において、二、三の協会に協調的で組合の積極的活動を心よく思つていなかつた楽団員が組合を脱退したのがきつかけとなり、管楽器部門及び申請人を除いた打楽器部門の楽団員三〇数名が大量脱退するに及び組合の活動は事実上停止のやむなきに立至つた。

(7)  かくして弱体化した組合にあつて、小杉は組合の解散をたびたび提案したが、申請人はその都度楽団員の生活権擁護のためには労働組合の存在が是非とも必要である旨強調しこれに反対していたが、結局組合は同年一一月頃解散するに至つた(組合が解散したことは当事者間に争がない。)証人沼光蔵、水川清一の各証言中右認定に反する部分は前記各疎明に照して信を置けないし、他に右認定を左右するに足る疎明はない。

右認定事実からすると、申請人は組合結成に尽力し、組合結成後は積極的に組合活動を行つていたものと認めるに難くはない。そして前記甲第四号証の一、申請人本人尋問の結果によると、協会の幹部は申請人の右のような組合活動を充分察知していたことがうかがえる。証人沼光蔵、水川清一の各証言中右の認定に反する部分は信を置けないし、他に右認定に反する疎明はない。

(二)  申請人に対する被申請人の解雇事由

被申請人は、申請人を解雇したのは、楽団の技術向上の方策として、是非とも人員整理を必要としたので、まず運営協議会において楽団員の入団、昇給、休退職などについて協定をし、専務理事が定めた整理基準につき右協定に基き指揮者らの意見を徴した上楽団員を評価した結果申請人が被整理者に該当すると認められたので解雇した旨主張し、前記乙第二号証の四、証人水川清一の証言により成立を認めうる同第五号証、証人水川清一の証言によると、水川専務理事は昭和三一年九月一日から楽団員の人事など楽団の運営を委されることになつたが、同人は楽団員の人物、技術については何らの知識を有しなかつたので、考課の資料にする目的で、数度にわたり常任指揮者、コンサートマスターらから楽団員の人物、技術について意見を聴取した上全楽団員につき性行、技術及び技術の将来性に関してそれぞれA、B、C、Dの四階級の評価をしたが、評価資料の収集の当初から、技術の向上のためには人員整理もやむを得ないことと考えていたので、評価が進むにつれて、整理基準として、右評価結果がいずれの項目もCのもの及びいずれか一項目がDのものを整理対象とすることに決めたこと、そして申請人の右評価結果はいずれの項目もCとされていることが疎明せられる。

ところで、人員整理の必要性の判断は、使用者である協会の自由になしうるところであるし、証人宮本政雄、水川清一の各証言によると、昭和三一年当初頃協会の財政も赤字がかなり多く、かつ楽団の演奏技術についても悪評がしきりで、楽団の維持発展のためには演奏技術の向上が必要な状態にあつたことが疎明せられるから、協会が楽団の維持、発展策として、人員整理の必要がありと認めたことは一応肯づけるとしても、人員整理のための被解雇者選定に当り、整理に名をかつて、申請人を組合活動の故に整理の対象に選んだものでないかとの点が問題となるのである。

そこで、被申請人が申請人を前記三項目ともCと評価した理由として主張する具体的事由につき順次検討することとする。

まず人物について、

証人水川清一の証言、申請人本人尋問の結果によると、(1)申請人は昭和三一年正月それまで数回酒席を共にしたことがある日本楽器株式会社の社員を誘つて飲酒した際同社員との間にいざこざを起したこと、証人宮本政雄、水川清一の証言により(2)申請人は音楽の練習時間に遅参することがかなりあつたこと、証人向江久夫の証言、申請人本人尋問の結果により、(3)解雇される三年以上も前頃申請人は映画録音の出演時間に遅れたため演奏に支障をきたしたこと、(4)また映画録音に際しいねむりすることが多く映画関係者より苦情を申し出られたことが、いずれも疎明せられるが、(1)の行為は酔余の些細な出来事であり(2)については、証人宮本政雄、水川清一の各証言によると、申請人以外の楽団員も申請人同様遅参するものが相当あり、楽団では普通のことであることが疎明せられるから申請人の遅参だけを特に採りあげる理由に乏しいし、(3)の行為はかなり古いことであり、(4)の行為は、前記甲第四号証の一、証人作間清、向江久夫の各証言により、昭和三一年当時映画録音は徹夜で行われることが多く、楽団員は疲労のため、申請人に限らず、しばしばいねむりをすることがあつて、映画関係者から苦情の申出があつたのであるが、申請人は打楽器を担当していた関係から他の部門より人目につきやすかつたに過ぎないことが疎明せられるから、申請人の右行為だけを採り上げて問題にするのはいささか酷である。その他被申請人が主張するような申請人の酒行上の悪癖や勤務態度の不良、楽団員との間の協調性の欠缺の事実は、申請人は楽団員との協調性に欠けているとの証人水川清一の証言を除いてはこれを認めるに足る疎明はなく、右証言は後記の各疎明に照して信を置かない。かえつて前記甲第四号証の一によると、申請人は他の楽団員との協調性に欠けていたものとは認められない。このことは、証人沼光蔵、水川清一の各証言及び申請人本人尋問の結果により認めらる、申請人に対する解雇予告後、楽団員の殆ど全員より協会に対し申請人のため歎願書が提出されていること、申請人のした地方労働委員会に対する救済申立が組合の決議により組合の申立にきりかえられている事実よりしても肯けるところである。

次に技術及びその将来性について、

被申請人は、打楽器の奏者として、申請人はリズム感及び音程の感覚が特に悪く、且つ将来技術の向上性がない旨主張し、証人宮本政雄の証言は右主張にそつているが、後記の各疎明に照してたやすく信を置けない。かえつて前記甲第四号証の一、申請人本人尋問の結果により成立を認めうる甲第五号証の一、二、証人作間清、宮本政雄、長野美代子の各証言、申請人本人尋問の結果によると、申請人は在団当時から楽団の定期演奏会及び客演指揮者による演奏会には他の打楽器奏者よりも数多く、出演し、又打楽器の演奏者としては一応難曲をこなしていること、楽団員には他に技術が申請人より未熟な者が残つていること、解雇予告当時水川専務理事は申請人を他の楽団に就職することを斡旋するし、将来楽団に復帰させるよう努力するなど述べていることが疎明せられ、右認定事実をかれこれ考え合せると、申請人の技術が特に優秀であつたとはいえないまでも、他の楽団員と比較して低く、将来性がなかつたものとは到底認められない。

もつとも証人水川清一の証言により成立を認めうる乙第一二号証、証人向江久夫の証言によると、申請人は他の楽団員に比して映画演奏の出演回数が少ないことが疎明せられるが、証人沼光蔵の証言、申請人本人尋問の結果によると、映画演奏は協会の財政上有力な収入源であるが、右演奏については一般的に協会の最も重要な行事である定期演奏会及び客演指揮者による演奏ほどに秀れた技術を要求されるものでないし、又出演希望の有無によつて出演回数が影響を受けることが疎明せられるから、映画演奏の出演回数の少いという事実から直ちに演奏技術が低いとの結論を導きうるものではなく、したがつて右申請人の映画演奏における出演回数が少いという事実は必ずしも前記認定の妨げとなるものではない。その他前記の認定を左右するような疎明はない。

(三)  不当労働行為の成立

そして成立に争のない甲第二号証、証人長野美代子の証言、申請人本人尋問の結果により疎明せられるように、協会は解雇理由を解雇当時明らかにしなかつたが、申請人より本件解雇を不当労働行為として地方労働委員会に救済の申立があつた後初めて明らかにしたこと、前記認定の協会が整理基準を定めたいきさつ、及び人員整理の前頃に楽団員を新規に採用している事実などから推すと、協会は確固たる整理方針の下に整理手続を進めたものでないことが認められる。右の事実に、前記認定の協会が申請人を解雇する理由とした事由がその主張どおり是認せられないものであること、協会の楽団員に対する評価は、申請人が積極的な組合活動を行つている状態の下においてなされたものであり、かつ協会は申請人が組合活動を行つていることを察知していたこと、証人長野美代子の証言からうかがえる、協会の理事らは組合の活動をこころよく思つていなかつたこと、前記甲第四号証の一により認められる、申請人の発言は協会側をかなり刺戟していたことをかれこれ総合すると、協会において申請人を被整理者として前記評価を各項目ともCに該当するとし、解雇を決意するに至つた決定的な動機は申請人の前記認定のような積極的な組合活動を嫌悪し楽団より排除せんとするにあつたと認めるを相当とする。

被申請人は、協会の成立の経緯、その性格からして、組合と対立関係にはないから、申請人が組合活動をしたことの故に解雇することはありうる筈がない旨主張するが、法人の成立経過や目的の特殊性からして、直ちに法人とその使用者との間の労働関係の本質に変動を及ぼすことはないから、この点の主張は採用できない。

次に被申請人は、本件解雇が仮に理由がないとしても、申請人は昭和三二年六月一五日退職金一七万円を受領して解雇を承認していると主張し、被申請人主張の日に申請人が退職金一七万円を受領したことは当事者間に争がないが、申請人本人尋問の結果によると、申請人が退職金を受領したのは、申請人が解雇の無効を主張して被申請人を相手に大阪地方労働委員会に救済の申立をして闘争中であつて、しかもこれを受領するに際し生活補給金として一時受領するものである旨の意思表示をしていることが疎明せられるから、これによつて本件解雇の効力を認めることはできない。

してみると、協会の申請人に対する解雇は不当労働行為にして無効であり、したがつて申請人は依然被申請人の従業員としての地位を有しているものとみとめるべきである。

三、仮処分の必要性

申請人が被申請人の従業員として一ケ月金二八、〇五七円(内固定給一九、〇〇〇円、歩合給九、〇五七円――最近三ケ月平均)の賃金を毎月末日支払を受けていたことは当事者間に争がなく、被申請人は解雇の有効を主張し、申請人を就労させなかつたことは弁論の全趣旨で明らかであり、申請人本人尋問の結果によると、申請人は自己の演奏会出演による賃金収入を以て唯一の生活の資としていたが、本件解雇のため演奏技術の低下と生活の困窮に苦悩していることが疎明されるので、本件仮処分にはこれを求める必要性があるものとしなければならない。

四、結論

よつて申請人の本件仮処分の申請はその理由があるものと認め、保証を立てしめないでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 金田宇佐夫 中島孝信 大久保敏雄)

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